- T O K I N O C H A Y A -
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つかの間のバケーション

 相良宗介は窮地に立たされていた。
 幾多の戦場をくぐり抜け、磨き抜かれた戦士の本能がけたたましく警鐘を鳴らす。
 ざざーん……
 メリダ島の白い砂浜に打ち寄せる波の音がやけに遠く聞こえる。じりじりと肌を焼く北緯二〇度の太陽の光の熱ももはや感じられない。
 額ににじんだ脂汗を拭うことも忘れ、宗介は己が陥った危機的状況を打開すべく最善策を模索した。
 選択肢は二つ。たった二つだ。
 しかもそのいずれもが最良の選択とは言い難い。どちらを選んだとしても、後に禍根を残すことになるだろう。根拠はないが、彼はそう確信した。
(いっそ逃げるか……?)
 そんな考えが脳裏をよぎり、だが宗介はすぐに否定した。
 ここで逃げ出せば、さらに深刻な結果を招くことになる。
 宗介の背後の砂の上には一艘のゴムボートが横たわっていた。いつもの見慣れた強化ナイロン製の上陸用ボートではない。目を刺すようなどぎついオレンジの二人乗りレジャーボートだ。
 そう。二人乗りなのだ。
 そして宗介の目の前には二人の少女が立っていた。
 一人は腰まで届く長い黒髪の少女。歳は一〇代の半ばを過ぎたあたりだろう。すらりとした脚線。きゅっと締まったウエスト。ほどほどに豊かなバスト。妖艶とまではいかないが、十分に魅惑的なプロポーションを白いビキニで包んでいる。
 少女の名は千鳥かなめ。東京郊外にある陣代高校に通う女子高生である。彼女はいま、腕を組み、苛立たしげに人差し指で肘を叩きながら、宗介を見据えていた。
 もう一人も一〇代半ばの少女だ。アッシュ・ブロンドの髪を三つ編みにして、左肩から垂らしている。淡いブルーのワンピースの水着の胸元には大きなリボンがしつらえられていて、やや幼さを感じさせるデザインだったが、それがこの少女にはよく似合っていた。小柄だが、それでもしっかりとメリハリのついた肢体。かなめに比べるとまだ未成熟ではあるが、そのことが逆に妖精のような不思議な魅力をかもし出している。
 少女の名はテレサ・テスタロッサ。秘密軍事組織<ミスリル>の大佐であり、水陸両用戦隊の総指揮官――同時に強襲揚陸潜水艦<トゥアハー・デ・ダナン>の艦長である。わずか十六歳の少女がそのような重責を担う理由を、ほとんどの者は知らない。だが、彼女にそれだけの知性と能力があることは誰もが認めるところだった。
 そのテッサはいま、両手を胸の前で組み、大きな灰色の瞳を宗介に向けていた。
 二人の美少女の視線にさらされながら、宗介は思った。
(いったい俺がなにをした……!?)
 救援は期待できない。ビーチにいるのは宗介たち三人だけだ。
 宗介は同じ「ウルズ」のコール・サインを持つ同僚の顔を思い浮かべた。クルツ・ウェーバー軍曹。このゴムボートを半ば押しつけるように宗介に貸したのは彼だ。
『カナメとテッサを連れて泳ぎに行くって? じゃあこれを持って行け。浜辺に着いたらこいつで二人を誘うんだ。ポイント高いぜぇ?』
 ポイントが高い、とはどういう意味だろう? こんなことで査定が稼げるとも思えないが。
 だがいま思い返せば、私用があると誘いを断ったクルツがやけに楽しそうに笑ってはいなかったか?『残念だ。ああ本当に残念だ』と言いながら、悪戯を仕掛ける子供のような目で俺を見てはいなかったか?
(あるいは奴は、こうなることを予測していたのかもしれん……)
 頭のどこかで、クルツの哄笑が響いたような気がした。
「で? どーするのよ? ソースケ」
 しびれを切らしたかなめが口を開いた。不機嫌な声だ。怒っている。
 だがなぜだ? 俺がなにか彼女を怒らせるようなことをしたのだろうか。
 俺はただ、クルツに言われた通り『沖へ出ないか?』と二人を誘い、持ってきたゴムボートを準備しただけだ。ゴムボートが二人乗りで、全員で乗れないことは予想外だったが。
「いいじゃない。テッサと一緒に行ってきなさいよ。あたしはここで待ってるから」
「そんな。カナメさんはお客様なんですから、まずはカナメさんが……」
 二人は譲り合いを始める。だがなにかが妙だ。不自然だ。お互いに遠慮をしながら、本音を隠している……そんな感じだ。
「いいから行ってきなさいって。ほら、テッサ、チャ……チャンスじゃない?」
「チャンスって……! そ、そんなこと言っていいんですか? カナメさんこそ本当は……」
「だっ、だからあたしは、そーいう……!」
「もっと自分に素直に……!」
 いつの間にか話題がすり替わっている。しかも二人の声はどんどん高くなり、すでに言い争いと言ってもいいくらいだ。宗介は慌てた。
「待て。千鳥。大佐殿も落ち着いてください。冷静に話し合えば自ずと解決策が――」
「誰のせいだと思ってんのよっ!」
「誰のせいだと思ってるんです!」
 かなめとテッサは同時に振り向き、同時に言った。その剣幕に宗介は思わず後ずさる。百戦錬磨の傭兵を退かせるだけの迫力が、いまの二人には備わっていた。
「だいたいあんたが二人乗りのボートなんか持ってくるから……!」
 かなめはしばらくの間肩を震わせていたが、やがて大きな溜息を吐くと、
「……やめた。馬鹿馬鹿しい。だいたいなんであたしたちが言い争わなきゃなんないのよ。ソースケ、ボートを持ってきた責任を取って、あんたがどーするか決めなさい」
「……そうですね。サガラさんが決めるべきです」
 そう言って、二人はじっと宗介の顔を見つめた。期待と、不安が入り交じった視線。宗介の背中を、冷たい汗が伝った。
(どうしろと言うのだ……!)
 ざざーん……
 寄せては返す、波の音。どこまでも青い空。照りつける太陽。白い砂浜。
 だがそれら現実のすべてが、宗介の目には映らず、耳には入らなかった。
 ぐるぐると回り続ける思考の迷宮。処理能力を超えてしまったCPUのように煮詰まった頭の中で、宗介は思った。
(いったい俺がなにをした……!?)

 一〇分後。
 かなめはテッサを伴ってボートに乗り、沖へ漕ぎ出した。
 砂浜には固まってしまった宗介が、ひとり、残されていた。


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